
スポーツと学問における成功の尺度
イングランドで最も有名なサッカー選手の一人であるベッカムを題材にしたNetflixの新作ドキュメンタリー『Beckham』をご覧になった方も多いだろう。その冒頭で、ベッカムは学生時代についてこう語っている。
PYP日本語教師。生まれも育ちも北海道だが、20代は海外に移り住み、6カ国で暮らし、大人としてのアイデンティティを築いた。海外生活と第二外国語としての英語学習が、彼女のアイデンティティにどのような影響を与えたかを語る。
わたしは2つの言語と一緒に生きている日本語と英語は家族のようなもので、全てを知り尽くしているわけではないけれど、どちらも満たされない。
生まれも育ちも北海道のわたし、小学校から高校までは地元の公立校に通い、大学も道内の地方大学に進学したため、わたしの知り得る英語はほとんどが卓上で、英語を学ぶことは二次元のキャラクターに恋するような距離感と熱量に波があるものだった、ロンドンやニューヨークを舞台にした洋画を示せば、映し出される主人公たちのたわいないやりとりさえ憧れ、ラジオから流れてくる洋楽に習った英単語が流れてくるとちょっと英語との距離が縮まったかのように思えて頬を赤める。
「もう一人のわたし」の存在に気が付いたのは、来豪から4ヶ月か過ぎて留学生活に慣れ始めた頃だ。この時点でわたしの英語にはまだまだ相当の不自由があったのだけれど、この留学生活は「言語の発達」より「自文化」に大きな変化をもたらし「もう一人のわたし」を形づくる機会となった。これは特殊なことではなくて、母語以外の言語と生きる人に「もう一人の自分がいるか」と聞くと、「いる」と答える人がわたしの周りには多いように思う。
「もう一人のわたし」が形成される過程で、そのきっかけとなったのが「バービー事件」である。「バービー」これはわたしがオーストラリアで初めてもらったニックネームだ。名付け親は大学寮で同じ部屋に住んでいたオーストラリア人とインド人の女の子である。このあだ名で面と向かって呼ばれることはなかったのだが(陰口…)、このことをこっそり教えてくれたのは同じ部屋に住んでいたオーストラリア人の男の子だった。ちなみにわたしはバービー人形のような紅毛碧眼をもちあわせているわけでもなく、性格もどちらかと言えば『ちびまる子ちゃん』のお姉ちゃんのようなドライさが自分にはあると思っている。
では、なぜ「バービー」になったのか。考えついた理由は二つ、自己表現力不足と文化的知識の欠如だったのではないかと思う。コミュニケーションを通して自分を表現するとき、気の利いたジョークを言ったり、絶妙なタイミングで的を得たコメントを言ったりして会話に弾みや面白さを加えることは、わたしを表現するために欠かせない要素である。当時のわたしにはもちろんそれが英語でできるはずもなく、相手が話していることを理解するのに必死で、ただのうなずきマシーンのようなものすごくつまらない人間になってしまったように思えて落ち込むことがよくあった。そしてそれを隠すため、あるいはどうにか相手にいい印象を持ってもらいたくて、わたしは無意識にニコニコするようになった。日本文化のなかで笑顔を絶やさないことは独善的に正しいこととされているように思うが、これが他の文化では必ずしも同じ印象を与える訳ではないらしい。これに加えて、小綺麗にして大学に通うことも彼女たちの目には異様に映ったようだ。自分では典型的な女子大学生がする服装をしているつもりだったが、「パーティーに行くの?」とルームメイトに聞かれることもあった。そして来豪程なくしてわたしは「バービー」と呼ばれるようになったのである。
この経験はわたしにある変化をもたらした。わたしが所属し得るコミュニティーで人々がどのように行動しコミュニケーションをとるのかをよく観察し、真似するようになったのだ。つまり、自分から現地コミュニティーに同化して、「バービー」ではなく「普通の人」になろうとしたのである。ちなみにここでいう「現地コミュニティー」は、オーストラリア人ばかりではなく、当時の留学生コミュニティーの大半を占めたヨーロッパ勢によってつくられたコミュニティーであった。
自主的な同化は取り組みやすい外側から始まった。ファッションである。何を「美」とし「流行」とするかは文化やコミュニティーによって大きく異なるから、それを敏感に察知して同化していくのだ。今振り返ると後悔の念がない訳ではないが、1年間の留学生活を終えたわたしの肌はガングロ(欧米では「太陽にキスされた肌」とロマンチックに形容される)で、キャミソールにショートパンツをという出で立ちであった(そして自信に満ちていた)。そして同化は次の段階に入り、「行動」に変化が現れ始める。話すときにはアイコンタクトを欠かさず、表情筋をふんだんに使いまくる(日本語の表情筋使用率は20%ほどと言われている)。友達にあいさつするときは出来るだけ自然に右頬にキスをしてハグをするように努力し、意見を問われれば拙い英語でもはっきりと意思表示をするし(曖昧でいるのはかっこ悪い…?)、むやみにニコニコいして愛想を振りまくようなことも控えた。このようにして、英語を通して行われるコミュニケーションをするとき、同時にそれに伴う「行動スイッチ」のようなものが入り「もう一人のわたし」が出てくるようになったのだ。
留学から帰国したわたしを「西洋かぶれ」と揶揄する人は少なからずいた。
マズローの欲求5段階説は、「最下層の『生理的欲求』から、一段づつ欲求を満たしていくこと、最終的には最高位の『自己実現』に向かって理論になっていく」。
わたしをこの理論に当てはめてみる。まず500gのオージビーフステーキが4ドル(2009年当時)オーストラリアの食文化にはすぐに馴染み(1年後には人生最大の増量を経験することになる)。)、男女混合の部屋が当たり前の大学寮にも慣れ、比較的治安のいい地区に住んでいたこともあって、わたしの「生理的欲求」「安全の欲求」はすぐに満たされた。「内心では思っているから、異国の雰囲気が漂うコミュニティーに入れてもらいたいというのが本音だった、でもそのコミュニティーに入るためには不可視なチケットがあって、英語で意思疎通ができることはもちろん、"おもしろい人だな "と思ってもらえるようなキャラクター(表現できる英語力)、そしてそのコミュニティーの文化を理解する体現する力が求めらる、人々が仲間意識を保つためには一定の共通点が必要なわけで、社会的欲求を満たすことを必死だ、その当時のわたしは、"同化 "という手段を異国の使い手の雰囲気が漂う、コミュニティーに入っていくと、それは、ガングロ、キャミソール、ショートパンツでシドニーの街を歩くことは、北海道から持ってきた洋服を着て歩くより "現地になった感"、即ち社会の一員として。
「もう一人のわたし」をつくってしまうと、「今までのわたし」はそのままいられなくなるようである、言語を代えるたびに、その言語の文化にフィットする自分を出すことは慣れている、「わたし」は唯一無二のアイデンティティはどの言語を話す自分にも存在する、混乱が生じてしまう、単なる言語疎通の意思のツールでなく、社会的・文化的な価値観を吸収して体現するもの、だから、英語に深く入っていくほど、その文化的な価値観がわたしのアイデンティティに組み込まれていく、さらには英語の文化を吸収した自分のアイデンティティが、日本語を話すときのわたしの見え隠れし始めるのだ。
この特徴が顕著にでるのが問題の場面だ。問題解決には、文化的なアプローチや正義や権利などの価値観が如実に現れる、自己の権利を主張することに重きを置く文化に長く足を入れていると、日本で同じような場面に遭遇したときに、自分のよがりなクレーマーになりかねない。
複数の言語や自分に文化を取り入れると「何が正しいか」言語や文脈によって変化する。
人生の最初の20年を日本で過ごしたことによって、わたしのアイデンティティの基盤には、日本語がある、日本文化がある、しかし、自分とは何者なのかを探求する青年期を英語を公用語した環境や職場で過ごしたことによって、英語に伴う文化はわたしのアイデンティティの確固とした一部になった、今のわたしは、もはや日本人にもなりきれず、英語圏の様々な要素が混じり合った曖昧な文化にも染まり切ることができない、どの国や文化や文化にも完全に属さない個人となったのかもしれない。
わたしにとって言語を学ぶことは、常に自分に何かを付け足していくだけではなく、それまでに築き上げた価値観や慣れ親しんだ習慣を手放すことでもあったのかもしれない。"考えるときがある、もちろんこの答えは知る由もないし、自分の選択は後悔はない、ただ、英語と生きることがわたしのアイデンティティ、価値観、信念、そして人生に大きな影響をもたらしたことは確かである。
ヴィジョンズ編集部"マズローの欲求5段階説を活用したインナーブランディングの考え方"Visions(ビジョンズ)|人と企業の志を実現するためのブランディングメディア、Visions(ビジョンズ)|人と企業の志を実現するためのブランディングメディア、2021年8月3日、prdx.co.jp/visions-prdx/maslow/.
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